自立した人間をつくる

社長、会長が一度に亡くなり、日之出が危機に陥った十年四カ月前、専業主婦の私が、清水の舞台から飛び下りるような気持ちで社長を引き受け、

「いい会社にしたい。」という思いだけで、走ってきました。

少しでも改善し、少しでも良い製品を作り、少しでもいい会社に・・・
建て直しのため、極端に減らしたボーナスも少しづつでも多くしたい

「私が、社員の皆を幸せにする。」というぐらいの意気込みでしたが、
リーマンショック以後の不況で躓いてしまいました。

もう金銭的に報いることが難しくなったのです。
当初、厳しい無力感に襲われましたが、じっくり考えてみると、
そもそも「人を幸せにする。」などとは、思い上がった考え方だと気づきました。

幸せは、人から与えられるものではなく、自分で勝ち取るものだったのです。
また一人一人の心の持ちようにあるものです。

私には、皆を幸せにしてあげる力は無いけれれど、
皆が自分の力で幸せをつかみ取るためのお手伝いはすることはできる。

日之出の社員だから幸せなのではなく、
どこに行っても幸せ、どんな困難にあっても解決できる・・
どこに行っても生きて行かれる、そういう力を身につけるためお手伝いです。

それには、環境を整えなければなりません。
まずは、絶対の信頼がかかせません。

人は、尊重され、愛されていることが実感できた時、
自信を持ち、伸びていけるのだと思います。

厳しさも必要です。永く勤めていると、何でもあることが当たり前になって、
気配りが足りなくなり、間違いがあっても馴れ合いになりがちです。

お花だって、もう枯れそうってところまで水を絶つと、より美しい花を咲かせるのだそうです。

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目標を持たないと、発展がありません。一生勉強、一生挑戦、一生青春です。

若い人はもちろん、嘱託の方たちまで、退社するその日まで
努力研鑽を重ね、技を磨き、人格を高めるようにとお願いしてあります。

いかに「自立した人間」を作るかが
会社に課せられた使命だと思っています。



ゆりこ

2012年03月31日:日記::yuriko

創業92周年・松本繁次郎のこと

今日は、日之出株式会社の92回目の創業記念日でした。
初代松本繁次郎がアメリカから帰国し、大正九年(1920年)2月4日に東京深川の清澄庭園のそばに平安堂松本商店を興し、モップの製造販売を開始したのです。

大英博覧会の職員として渡英した松本繁次郎が、いつアメリカに渡ったのかは、定かではありませんが、オークランドのS・伴商店の社員だったこと、アメリカで運転免許を取得して帰国し、交通整理の仕方を深川警察署の警察官に指導したことは、直接聞いております。

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私が先代の松本哲男と婚約した頃、入院していた祖父のお見舞いに行った時の第一印象は温厚ながら眼光は鋭かったと記憶しています。
退院お祝いに、手作りのケーキを持っていきましたら、祖父はすごく喜んで、嬉しそうに「貴女が作ったの。」と何回も聞きました。

祖父の体調を考えて、結婚式を早めた真夏の披露宴でしたが、疲れも見せず私たちの側にたち、招待客に一人一人にていねいに頭を下げ挨拶していた笑顔が忘れられません。
私たちの新居に毎日のように遊びに来ては、「ここはいいね〜」とくつろいでいました。1Dkのアパートなのに何がいいのかしらと可笑しかったですが、煙草が自由に吸えたからかもしれません。

二人でよく喫茶店にいきました。祖父はコーヒーが大好きでしたが、私にはパフェやあんみつを勧めてくれました。スーパーで祖父の好きなトマトジュースを買って、バスで帰宅するとき、空いている席に私を座らせようとするのには困りました。
いつも身だしなみをきちんとし、ステッキを持って歩く姿は、惚れ惚れするぐらいお洒落でした。優しくてウイットに富みセンスも良いので、外出時の服装チェックは祖父にしてもらっていました。

そんな折り、やはり八十を超えていた私の祖母が上京し松本家を訪れ、「松本のお祖父さんは、人とは違った貴重な経験をした素晴らしいい方だ。お祖父さんのお話を良く聞いて、貴女が書き留めておきなさい。」と言いました。

あの時、祖母のアドバイスに従っていたら、もう少し会社や松本家のことが後世に伝えられたのに・・・
まさか私が会社を継ぐことになろうなんて、想像もできないことでしたから・・・。

祖父は、一切の偏見がなく心の広い人でした。私のことも嫁という目ではなく、人として見てくれました。祖父からいやな思いをするような言葉は一度も掛けられたことはありませんでした。
そんな楽しい日も長くは続かず、だんだん体調が悪くなり、とうとう不治の病を宣告されたのです。「何をしてあげたら良いでしょうか。」との問いに「何もできることはない。」との主治医の言葉が虚しかったです。

暖かい陽が降り注ぐ12月の朝、生後4カ月の私の娘の手を20分間も握りしめたその後で静かに旅立ちました。
「取り返しがつかない」とはこういうことなのだと思い、泣いて泣いて泣きました。
祖父が大好きでした。祖父と過ごした1年4カ月は私の宝物になりました。

後8年で創立100周年を迎えます。

創業の想いを受け継ぎ、次の世代に受け渡していきたいと願っています。


ゆりこ

2012年02月04日:日記::yuriko

今年のキーワード

今日で一月も終わりです。
昨年の目標を発表したのが、ついこの間のような気がします。

◎お客様に喜んで戴いて幸せになる
   happy-happy
◎熱意こそ全て
◎全社あげての販売促進

*****************************************************
昨年までの目標は、引き続き取り組んでいかなければならない大切な指針ですが、ふと考えてみると、観念的、抽象的です。
もっと簡単で分かりやすい目標の方が身近に感じるのではと考え、昨日入社した人でもわかるような、実行しやすい目標となるキーワードを制定することにしました。

◎ 前向き
◎ 親切

最初「前向き」とは、「できないと言わないこと」と
説明しようと思いましたが、違いました。

「前向き」とは、「喜ぶこと」「楽しむこと」

大変な仕事を頼まれたら、信頼されていると嬉しく思い・・・
どうやって乗り越えようかと楽しみ・・・
失敗してしまったら、良い経験だと・・・
成長のチャンスだと喜ぶ・・・

また、「前向き」とは、噂話をしないということ

悪口はもちろん、人の噂はしない・・・
たとえ悪気が無くても、不用意な言葉は時には人を傷つける・・・
以前から、「言霊」を大切にしてきた由縁です。
会社は学校でもサークルでもありません。
真剣に仕事をしていれば、他人の所作を気にする暇はないはずです。

二番目の「親切」=「暖かい心」です。

お客様の立場にたって、考えること・・・
お困りになっていることを解決すること・・・
仲間の仕事が、やりやすいようが協力すること・・・
身体や心が弱っているような時は、そっと気遣うこと・・・

日之出もテックスもダストクリーンも揃ったディミーティングで、
皆真剣に聞いてくれました。新城工場には、カセットで届けました。
二日後に新城工場に行った時、「今年の目標は?」と聞くと、
「前向き!」「親切!」  
間髪入れずに、返ってきたのが嬉しかったです。

皆で心を一つにして努力してまいりますので、
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


ゆりこ

2012年01月31日:日記::yuriko

十年目のご挨拶

11月1日は、前社長が亡くなってちょうど十年目でした。

ニューヨークテロのさなか、突然余命2〜3ヶ月と宣告された衝撃は今でも鮮明です。発病からわずか1ヶ月半で世を去った主人の「お前ならできる。」という言葉に押され、専業主婦から社長になって無我夢中で頑張ってまいりました。

良い会社=「社員が幸せでお客様に喜んでいただき、社会貢献できる会社」に
したいという夢のため一所懸命努力してまいりましたが、まだまだ遠い道です。

リーマンショック後の不況にへこみ、原料の値上がりと製品価格のデフレに苦しむ毎日です。そんな中で、2009年2月に、日之出創業八十八周年を社員と共に祝うことができたのは大きな喜びでした。

日之出が今日ありますのも、お客様・仕入先様・銀行様・友人、社員の皆様、
お世話になりました皆様のおかげと、心より感謝申し上げます。

20111102-18sonnsimat.JPG

前社長が生前に渾身の思いを込めて製作した記念のマットです。

「将者智信仁勇厳也」 武田信玄も傾倒した孫子の教えです。
「将者(率いる者)には五つの資質、『智』=智惠・知識 『信』=信頼・信念 
『仁』=仁愛 『勇』=勇気・勇断 『厳』=厳格 が必要である」という意味です。

言葉は以前から知っていましたが、社長にならなければ、
これほどに共感することはなかったと思います。

前社長の思いを忘れず、技術力と時代に先駆けた新製品を作るという
日之出の伝統を息子に受け継ぐのが私の使命だと思っています。

今後とも努力し続けてまいりますので、皆様にはますますのご指導とご支援を
賜りますよう、伏してお願い申し上げます。


ゆりこ

2011年11月02日:日記::yuriko

ファインモールド製トラック

終戦の日が来るたび、父の事を思い出します。

三年前、豊橋市主催の経営塾で、有限会社ファインモールドの
鈴木社長様から、「陸軍のトラック」製造の構想を伺い、大喜びしました。
「二年はかかる」とのお話しでしたが・・・
インパール作戦に自動車輸送部隊としてビルマに参戦した、88歳の父のため
一日も早くとお願いしました。

ファインモールドさんは、わずか10名ほどの小さな会社ですが、
宮崎駿監督の、紅の豚の飛行機やスターウォーズの模型で有名な
愛知ブランドに輝く日本一の模型メーカーなのです。

20110901-finemolds.JPG

金型作りも成型も全て自社、技術も設備も超一流です。
ただ精密に作るだけでなく、背景・歴史を時間をかけて調査し、
思いまでも伝えるのです。

資料として、父の愛蔵の戦友会史「南想」と「「南想・拾遺集」をお貸しし、
首を長くしてお待ちしていましたが・・・

困ったことに、プラモデルの組み立てができません。
インターネットで組み立てをしてくださる方を募集しようかと思案していましたら・・・
父はすでに友人にお願いしていました。

HPを度々チェックし、一年前の5月の発売日にファインモールドさんを訪ねました。

20110901-0100610 041truck.JPG

トラック2種を購入するつもりでしたが、なんと両方ともプレゼントして下さったのです。

実家に急送したプラモデルを、父の友人の松岡さんが毎日来訪し、
父の傍で組み立ててくださいました。
松岡さんは元エンジニアで器用な方なのですが、プラモデルは初めてだったのです。
何しろ拘りの精密模型ですので、さすがの松岡さんも悪戦苦闘。
シールを張り間違えて取り寄せたり、苦心されたのです。

その様子を傍で父はワクワクしながら見て・・・いえ、いろいろ口を出して・・・
さぞ楽しかったと思います。

20110901-track00914.JPG

立派に2台とも完成したばかりか、松岡さんは戦車まで取り寄せて、
父にプレゼントしてくださったのです。

父の代理で出席した昨年7月の南想会にもパンフレットを持っていき、
戦友の皆様にお披露目しました。

松岡さん、ありがとうございます。
鈴木社長様、ありがとうございます。間に合いました。

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父は大切に床の間に飾ってあった2台のトラックの
一台と共に九十歳で旅立ちました。

あの時、私が鈴木社長のご講義を受講しなかったら・・・

20110901-0100610 035suzukishachou.JPG

鈴木社長がマイナーな「陸軍のトラック」を作ろうと思われなかったら、
ファインインモールドさんが、豊橋の企業でなかったら・・・

松岡さんが、ビリヤードの会に入会されなかったら・・・

ご縁の不思議、ありがたさをしみじみと感じています。

若い頃は、筆舌に耐えがたい苦難も味わいましたが、
自分の責任で、自分の思うように生き、人に恵まれた幸せな人生でした。
大きな声で笑う朗らかな人でした。

帰還できなかった方々を決して忘れず・・・
心ゆたかな日々を過ごしたいとと思います。


ゆりこ

2011年08月31日:日記::yuriko

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