豊橋のネットショップ美酒蔵さんからもメルマガが届いています。
昨年までは、お薦めの希少な焼酎や・・・
豊橋の名産を贈ったり、
蒲郡の創房泰豊さんにお願いして
創作三河木綿の作務衣をあつらえたり・・・
京都から珍しいお菓子を取り寄せたり・・・
いろいろ心配りをしていました。
今年は、その父がいません。
あれをしてくれ、これを送れと
次から次へと言ってくる父、
まるで、かぐや姫ならぬ・・・かぐやの翁・・・みたいだねと、
母と笑いあったこともありました。
結婚してからは大家族で、めったに実家に帰らず、
豊橋に来てからは、一年に一度も会わない時もありました。
九年前、主人が急逝した時には、本当に心配をかけました。
父も母も病気になり、こっそり手術していました。
娘に大甘だった父ですが、
経営者になってからは、厳しかった・・・
ほとんど褒めてもらったことはありませんでした。
晴天の霹靂で主婦から社長になり、何も知らなかった私に、
八十歳を過ぎていた父は、三年分の資金繰り表を書いてくれました。
そして、友人の東京の信金の元理事さんを紹介してくれました。
ご指導通りに金融機関に対応し、会社を軌道に載せることができました。
父に一杯教わりました。
自信を無くした時も、父に相談すると希望が沸いてきました。
父はいつも朗らかで、前向きだったからです。
とにかく早い・・・決断と実行の人でもありました。
実は、お世話になった信金の元理事さんも、
卓球の同好会で知り合ったばかりだったのです。
数年前、父が心臓病で緊急入院してからは、
毎月実家に行くよう心がけていました。
父に頼まれたことは、何でも聞きました。
こたつでテレビを見る時、腰が痛くならない座椅子・・・
ビリヤードに行く時、駐車場から50mだけ押して歩き、
片手でトランクにポンと放り込めるような
軽くてお洒落なシルバーカートとか・・・
高機能且つ、簡単に手書き入力できる電子辞書等々・・・、
自分は行かずに、最適な物を送ってくれというのですから、
・・・大変でした。
でも楽しかった。
一昨年からは、とうとう戦友会にまで、
父の代わりに出席することになりました。
7月の連休後の平日の2日間ですので・・・
いくら社長でも出にくかったのですが・・・
父の命で戦友会の六十回記念品も企画して
豊橋の完和萬染さんで染めていただきました。
南十字星の元、ビルマの椰子林の間を駆け抜ける自動車隊です。
何とか父に喜んでもらえるよう・・・
心を尽くしました。
親孝行が趣味のようでした。
やはり・・・かぐやの翁・・・だったのですね。
ゆりこ