昭和20年3月10日、やっと1歳になったばかりの松本哲男も被災しました。
平安堂松本商店は、関東大震災に被災した後、同じ深川の清澄町に移転してモップの製造販売に従事していました。
大空襲の時、たまたま傍にいなかった母史は、絶望して火の中に飛び込もうとしたところを消防士に止められたのです。
とりあえず避難した近くの清澄庭園で、家族が無事再会、
哲男は祖母の松本キイに背負われて逃げ、九死に一生を得たのです。
普段から気短でしっかり者の祖母と、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%BE%84%E5%BA%AD%E5%9C%92
清澄庭園の池と豊かな緑のお蔭でした。
1晩で10万人もの方が犠牲になった東京大空襲!!
信じられないような悲劇でした。
わずか1年で嫁入り道具を全て消失した母は、物には拘らないと良く言っていました。
幼なじみの友人をほとんど亡くしたことの方が辛かったのです。
二度の大災害にあった松本家では、最低の備蓄品と共に、避難口を確保する、お風呂の水は捨てないなどの心構えを今に至るまで実行しているのです。
地震や台風などの自然災害も怖いですが、戦争の悲劇だけは繰り返したくないと強く思う今日でした。
ゆりこ