哲男は、太平洋戦争の戦局も厳しくなった昭和19年3月1日に日之出創業の地東京深川に生を受け、深川の八幡様(富岡八幡宮)で名前をいただきました。
富岡八幡宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
哲男の母史(繁次郎の長女)が生まれたのも同じ深川、名付けも同じ深川八幡です。日之出創業が母の生年なので、哲男は24年目、そして今年は96年目、
干支が8周りしたことになります。
二人とも同じ申年、血液型も同じO型、陽気で社交的な性格でした。
法政大学を卒業後、傾倒していた堤清ニさんの西武百貨店に入社、呉服子供服売り場学園課という何だか楽しそうなところで外商として勤務していたそうです。
西武百貨店
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97
そのころの西武デパートは考え方もファッションも斬新で、輝いていたのです。
高田馬場で学生時代を送った私もよく池袋の西武本店でショッピングを楽しみました。
他の老舗のデパートより、抜きんでて魅力があったのです。
西武デパートで洋服を買い、東武デパートで食事をするというのがいつものパターンでした。東武デパート本店には、昭和40年代にすでに高層階に噴水が流れるような美しい飲食店街があったのです。
食の東武として成功している経営の芽がありますね。
西武デパートでは同期入社1番という非常に優秀な成績でしたが、創業者松本繁次郎のたっての願いで数年で退社、日之出を継ぐことになりました。
そして繁次郎アメリカ時代からの親友のご縁でお見合し、私達は結婚しました。
後で聞いたら、私の母校学習院女子短大の制服を西武で初めて受注したのが、
主人だったそうです。ご縁ですね。
翌年長女が生まれ、3月にはお雛祭りを祝うことになったのですが・・・
「お誕生日と一緒にしないであげてね。」との母の言葉で、 毎年3月1日と3日に続けてお祝いをすることになりました。
3世代で家族が多く、毎月誰かの誕生日やお祝いがあり、
近くの妹一家も加わるので、なかなか大変でしたが・・・。
今となっては懐かしく楽しい思いでです。
ゆりこ