皆様、こんにちは.
日本初のモップメーカー日之出株式会社の松本です。

総合マネージャーのSさんが、無事アメリカから帰って来ました。すぎてしまえばなんということも無い10日間でした。特に問題も起こらなかったし、静かすぎて物足りないような日々でした。人事も担当している彼女がいないうちに新人の面接、採用も決まったけれど、ご都合で入社はまだ先です。
とにかくSさんは明るく元気で表現が豊かです。何か問題が起こるとすぐ対処したい性格なので、時々賑やかすぎることがあります。そんなとき私が「騒ぐな!死ぬわけじゃなし。」と言ったりするのは、息子に言わせると「パワハラ」だそうです。

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sさんが帰って来て、会社が明るくなったようで嬉しいです。

そして交代に明日から仕入れマネージャーのAさんが、台湾に出発します。
実家のお姉さんの心身が不調で、少しでも元気になっていただこうとお姉さんの希望の台湾旅行にお伴するのです。

私が社長になったころ、Aさんは縫製部のサブリーダーでした。当時は気の強い方が多くて、ビシバシ言われなかなか大変だったようですが、やさしく穏やかな中にも、言うべきことはきちんと言える強さを秘めていました。

その後縫製部のマネージャー(工場長)になったTさんを助けて、実務の傍らモップの洗濯実験から生産管理、現場と事務所の橋渡し、人の世話までこなしたのです。難しい生産管理ソフトの勉強会にも参加し、価格が高くて使いにくそうなソフト導入を断り、ついにはTさんの友人のソフト屋さんの協力も得て、自分たちが使いやすい生産管理システムをエクセルで作り上げたのです。そのころ夜や土日はご主人に叱られながら必死でパソコンの練習もしていたそうです。

もうひとつAさんのすごいのは、縫製メンバー全員の家族構成から家庭の課題、個人の悩みまで、すべてを把握していることでした。いろんな事情で退職したメンバーの近況さえも知っているのです。懐かしくなっても来社するのは恥ずかしいという元日之出メンバーは、皆Aさんに電話するようでした。

数年前、ベテランの仕入れ担当マネージャーIさんが勇退することになったとき、資材を知り尽くしたAさんに後任の白羽の矢があたりました。現場一筋で、取引先に電話もしたことがなかったので不安もあったでしょうが、前向きに取り組んでくれました。慣れない仕事で最初は当然のように評価も下がりましたが、今ではたいていのことまで任せられるようになりました。

会社のメンバーのすべてを知り尽くした肝っ玉母さんは、もちろん家庭でも頼られる存在です。ご主人のお母様はもちろんのこと、ご両親を早く亡くし実家が無くなり、病気がちのお姉さんや独身のお兄さんも、Aさんを頼っています。ご主人もやさしい方なので、Aさんの婚家にみなが集まります。Aさんの二人のお子さんも順調に結婚し、孫もいるので賑やかです。昨年はインフルエンザの娘さんの看病と孫たちの世話で疲れ切っていましたが、会社ではいっさい愚痴をこぼしませんでした。

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ご長男への開店祝いのお返しのお花です。

私が社長になった時、Aさんの給料があまりに少なくて驚きました。
すぐに少し上げたのですが、なかなか思うように増やすことができません。

無駄な残業はやめて、家庭を大切にしながら一生懸命仕事をして、楽しく充実した人生を送るというのが私の理想ですが、給料だけが追いついていません。

たとえ私の報酬を0にしたところで、焼け石に水です。
大企業の方には決して理解できないと思います。

知恵を振り絞り業績を挙げて、皆に報いたいと思います。

 
 
ゆりこ

投稿者 yuriko