宋さんのコラムを読むたびに、人の心は国境を越えて同じなのだと感動します。
今回は、特に心に響きましたので、ご紹介します。
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家は心にある
「家」、「ホーム」。東洋も西洋も大変心響く言葉である。
「家に帰ろう」の一言は弱った人々の心をどれほど救い、冷えた魂を
どれほど暖めてくれるだろうか。
「家」は建物ではない。「家」は家具と内装ではない。「家」は戸籍の構成で
はない。「家」は家族同士の愛であり、心の絆である。だから住むところは
狭いところでもいい、借家でもいい、頻繁に変わってもいい。太陽が沈み闇が
支配する頃、愛し合う家族が集まる。その場所は「家」となるのである。
「家」を実感するのは妻の「お帰りなさい」であり、夫の「ただいま」であり、
子供の「今日は・・・」の報告である。いつもの人と一緒に風呂に入る、
いつもの料理を口にする、いつもの人とキスする。「家」はその瞬間に
心に入り込んでくる。「家」は心にある。
マイホームのためにローンの返済に励む。一軒家のために会社に必死に
しがみつく。家から離れないために2時間もかけて通勤通学する。
心が納得すればそれぞれの選択が正しいだろう。しかし、もしそれによって
心が疲れきっているならば、心の「家」を探してほしい。
子供が大きくなると何を覚えるだろうか。「家」の広さではない。「家」の
豪華さではない、「家」の所有者ではない。子供たちが覚えているのは
「家」で何を食べ、何を教えてもらい、何を体験したかだろう。
「家」が作られるが、やがて消える。子供たちが自分の「家」を持ち、元の
「家」にたまに戻る。愛する人が天国に行き、「家」にはとうとう最後の一人
が残る。往時の絆と愛を思いながら天国での新しい「家」を夢見る。
「家」は心にある。
(夕刊フジ2009年2月18日「宋文洲の会社員哲学」より)
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主婦のころ、私は「家」が大好きでした。
お洒落な喫茶店で、本格的なコーヒーを味わうよりも、主人や子供達、両親と
楽しむコーヒー、友人を招いて談笑する「家」での一時が何よりの喜びでした。
父と主人がこの世を去り、母が入院した後、「家」は眠るだけの場所になりました。
社長になった今、心の「家」は会社にあります。
敬愛する祖父(日之出の創業者)の写真に見守られ、社員達がキビキビ働らき、
時にはトラブルに喜怒哀楽を表す、ここが私の最良の居場所です。
会社は、社員の集まりであり、社員には、それぞれの「家」があります。
小さな会社ゆえに、一人一人の家庭の状況もおおよそわかっています。
景気の激変を受け、経営者は雇用維持に苦しむ時代に突入しました。
祈る心で経営してきましたが、知らず知らず手を合わせる回数が増えました。
ピンチをチャンスと変え、会社を強くする機会にしなければなりません。
人間らしい心を失わず、『厳しく暖かい』社風を確立しなければなりません。
心の「家」を守るため、全身全霊で努力していこうと思います。