日本初のモップメーカー日之出株式会社の松本ゆり子です。
今日9月15日は旧敬老の日、実家の父の誕生日です。
父が生まれたのは1920年、日之出の創業年と同じですので、存命ならば96歳です。
実は松本の母も1920年10月7日生まれです。
生まれた時期も20日ほどしか違わない二人は、共に申年生まれ、人好きで朗らかな人柄でした。
その二人が同時に病が重くなり、父と同居の姪の結婚式も重なってハラハラした六年前、11月末に母が、20日ほど後の12月に父が天国に旅立ったのでした。
今年11月にはそれぞれ東京柴又と船橋のお寺で七回忌を催すことになりました。
生前には曾孫を抱かせてあげることはできなかったけど、今回の法要では、幼子たちが賑やかに参加してくれる予定です。
同じように明るく楽しい性格の二人でしたが、父は九十歳まで車を運転して趣味のビリヤードに通い、安楽死協会の書面を医師に見せ、無駄な治療を断わり、最後まで自分らしさを貫くことができました。脳溢血のため九年も病院で寝たきりだった母が可哀相でなりませんでしたが、眠るように安らかだったのが救いです。
若いころ父はビルマのインパール作戦に参戦して、飢えとマラリヤの病で髪が真っ白になるほどの辛苦をなめ、母は東京大空襲で焼け出され、乳飲み子を抱えて大変な思いをして生きてきました。
戦後は日本復興のため中心になって働いてきた年代です。
聞くところによると、「敬老の日」は、昭和22年に兵庫県の村長さんが、子どもを戦地に出した父親、母親の苦労に感謝して労うため、「としよりの日」を制定、55歳以上の方をオート三輪でお迎えに行って、余興とご馳走でもてなしたのが始まりだそうです。
55歳という年齢には驚きますが、そのころの定年はその歳くらいだったのです。
さすがに今では招待するのは70歳以上になっているそうです。
今でもその町の小学生は、夏休みの宿題で読書感想文と80歳以上のお年寄りへのお手紙を書くのが習わしとなっていて、おじいちゃん、おばあちゃんの絵のコンクールや、敬老の歌まであるそうです。
敬老の日発祥のまち多可町
昨今、高齢化が進み国も大変ですが、敬老の精神だけは失わないで欲しいと思います。
12月に90歳になる実家の母が元気で幸せであって欲しいと祈る毎日です。
豊橋の完和万染さんに作っていただいた戦友会の記念品です。
父がすごく喜んでくれて良かったです。
ゆりこ