「老少不定(ろうしょうふじょう)」とは、人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと。人の生死は予測できないものだということ。 「臨終先習(りんじゅうせんしゅう)」=「先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」とは、人の寿命はわからないので、いつどこで、どのような状態で臨終を迎えても、周りの皆が困らないように、悔いないよう、先ず考え勉強した上で、一日一日をしっかり生きること。
「人の命は老若にかかわらずいつ尽きるともわからないので、先ず先に死ぬ時のことをよく考え、いつどこで、どのような状態で臨終を迎えようとも周りの人が困らぬように、悔いないように一日一日をしっかり生きよ」との日蓮上人の教えなのです。
松本家のお寺の先々代住職の後継者に二十代の先代が来てくださった時、ほっとしたことを思い出します。私よりも数歳お若いご住職はとても気さくな温かいお人柄で、信頼しきっていたのですが、まさか先に逝かれるとは思いませんでした。
生涯独身だった先代住職の妹さんがお寺に住み、細々としたお寺の用事をしてくださっていましたが、現在は近所に引っ越し、他所に勤めています。先代が最後まで気に掛けていた当時高校生だった甥ごさんは、仏教系の大学には行かず違う仕事をしているそうです。
「私一人では、とても大学に行かせる余裕はありませんでした。」という妹さんの言葉に、申し訳ないような気持ちになりましたが、二十五歳になられ三人の子供に恵まれ幸せに暮らしていらっしゃると聞いて嬉しかったです。
豊橋の岡青果さんに電話でお願いしておきながら、受け取りに行くのを忘れてしまった果物をお仏壇にお供えしながらそんなことを考えていました。
ゆりこ