親族だけの内輪な集まりでしたが、心の籠った良い法要ができました。
姪の夫や私の長男、次女夫婦は仕事で来られませんでしたが、先日の松本の母の七回忌の時、実家の仏壇にもお参りしてくれたので良かったです。
自由を愛し明るく楽しい性格だった父は、晩年まで友人に恵まれました。
三歳で母を亡くし、戦争で苦労し、中小企業の経営でも大変なこともあったと思いますが、自分で選んだ道を歩んで行けたので、幸せな人生だったと思います。
そんな元気な父も私の夫が亡くなった時は、ショックだったようでした。
「おまえがやりなさい。日之出の中興の祖となるのだ。」と、社長になることを力強く勧めたので、私も一念奮起したのですが、当時の日記からは心配の様子がうかがえました。
社長になってからは、たびたび実家に行き、経営のことを相談していました。
娘には甘かった父ですが、経営者になってからはとても厳しくて、褒めてもらうことはほとんどありませんでしたが、経験の無かった私にとって、父はほんとうに頼りになりました。
経営も軌道に乗り、父の身体も衰えていくにしたがい、あまり相談しなくなっていましたが、亡くなる数日前、自分が信頼できる全国の経営者の方々を頼るようにと、お名前をメモさせたのでした。
ほんとうに大きな父の愛でした。
やさしく迎えてくれた法衣をまとった最勝院のクマちゃん。
楽しく語らった東魁楼本館での特別北京ダックコース会食
東魁楼本館
残された母をたいせつにして、姉弟親族仲良く力を合わせて生きていきたいと思います。
ゆりこ