毎年お赤飯を炊いて、ご馳走を作りお祝いしたのを思い出します。
妻は家庭にと考える前社長は、仕事のこともあまり話さず、私は日之出のことをほとんど知りませんでした。朝・昼・晩の食事の他に一日に数回も家に帰ってくる主人のため、いつも家にいて、家族以外の人との交流は少なかったのです。その代り、子ども達や主人の両親とは濃密な関わりを持って暮らしていました。
晴天の霹靂で社長になって、あちこち気軽に出かけ、多くの方々とお会いできるようになり、百八十度生活が変わったのも面白い運命だと思います。
二十数歳までは、気楽な核家族で「一番たいせつなものは自由」をポリシーとする父の影響を受けてのんびり育ち、大家族に嫁ぎ「人の一生は重き荷を背負い・・・」の家訓を見せられびっくりし、夫と両親の意向に沿って真面目に堅実にをモットーに二十数年を過ごしました。
社長になってからは、自由だけれど何でも自分で決めなければならない責任感の重さを痛感し、初めて経営者の孤独を知りました。
創業者の松本繁次郎に請われ、前社長が日之出に入社したころ、お金が無くて苦労したと聞いたことがあります。将来を嘱望されたサラリーマン時代の実績と実力で乗り切ったのでした。
私が継いだ時は、資金(保険金)はありましたが、実績と信用がゼロでした。
当時は景気も業績も振るわず、他に社長のなり手は誰も無かったのです。
前社長の 「会社を売ってもいい!」 「潰してもいい!」 「お前ならできる。」の声に励まされ、 覚悟は決まっていましたので、迷うことは少しもありませんでした。
主人の友達、親せき、実家の父など頼れる方々全てに教えを請い、会計士さん、社労士さん、弁護士さん、お客様、お取引先様のご援助と日之出の社員みんなの力で無事に経営してこられたことが本当にありがたく、心から感謝しています。
愚痴や弱音を吐かなかった前社長の気持ちは、今の方が心から理解できます。 会社や家族のために一生懸命頑張ってくれた主人に感謝するばかりです。
毎年、創業の2月4日や3月1日は記念日としてお休みにしたいと思うのですが、月初はお客様のご注文も多く、ご迷惑をかけますので、できかねています。
せめて3月のお誕生日お祝いの日に、日之出のみんなに美味しいお菓子でも配ろうと思います。
前社長の大好きなフリージアの花、数年前にベテランのMさんが植えてくれました。
前社長の会社を想う心を日之出メンバーにも伝え続けたいと思います。
ゆりこ