「南想会」は、旧陸軍により昭和16年9月に名古屋で編成された
独立自動車第45大隊の戦友会です。
第二次世界大戦勃発と同時に、ジャワ・スマトラ・ビルマ(ミャンマー)に赴き、
インパール作戦では、2000m級の山地で、連合軍の空爆をかいくぐっての
トラック物資輸送業務を担っていました。
終戦より一年遅れて、昭和21年7月21日に広島・大竹港に上陸・復員し、
それぞれの故郷に帰還する際に再会を約束、5年後の昭和26年7月21日に
伊豆修善寺の仲田屋旅館で第一回南想会を開催し、今年で59回目です。
大学を繰り上げ卒業し、昭和17年2月に鯖江連隊に入隊、翌18年8月に
スマトラに転属になった父は、インパール作戦での筆舌に耐え難い辛苦の中から
生還し、遺骨収拾のため数次ビルマにも渡り、できる限り出席して来ましたが、
心臓と腰を痛め3年前から欠席しています。
三連休後の7月21日・22日という日程もあり、昨年は断ったのですが、
88歳の父のたっての願いを無視できず、代わりに出席すると決めました。
戦後64年が経過し、会員の高齢化により各地の戦友会が消滅しつつある中、
戦友子息の忍田明治氏(東京)を第4代会長と仰ぎ、「戦没者の慰霊をし続け、
戦争の悲惨さを後世に語り継ぎたい。」という、遺族会員の高い志により
継承された新生南想会は、ウィキペディアにも掲載されている貴重な存在です。
南想会の紹介はこちら
驚いた事に、23歳の可愛い娘さんが出席していました。
幼い頃、大好きなお祖父さんに連れられて来ていて、4回目の出席です。
戦友会のため有給を申請し、会社の人たちにびっくりされたそうです。
自動車隊の象徴であるトラックが、南十字星の元、椰子の木間を走る
様子が、南想会旗にデザインされています。
修善寺での慰霊法要を終え、20名足らずの参加者での記念撮影の後、
5分程歩いて、北条政子が息子頼家の供養のため建立した指月殿に移動します。
源頼家の墓所の隣にある戦友の供養塔にお参りするためです。
十三重の塔です。
昭和43年戦友の23回忌にあたり、会員が寄付を募り、建立した「南想塔」は、
苔むして風情があります。
由來を記した詩碑の裏には、300名を越える寄進者の名前が刻まれています。
一人一人が線香を手向けお参りを済ませ、二等兵の戦友が作詩したという
独立自動車第45大隊の歌を皆で合唱します。
修善寺のお導師様から、慰霊の法要を続けている事の尊さについての
ご法話を戴き、清々しい気持ちになりました。
来年も是非出席したいと思います。