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創業者 松本繁次郎
松本繁次郎(まつもとしげじろう)物語
創業者・松本繁次郎について、そのバイタリティ溢れる人生の軌跡を当ホームページへお越しの皆様に特別にご紹介するコーナーです。
その一。
松本家は、代々大和郡山藩の柳沢家の家臣でしたが、幕末に勤皇の志士となり脱藩して京都に上ります。

松本繁次郎は明治21年(1888年)1月24日、貧乏士族の次男として京都で誕生しました。

幼いころより成績優秀だった繁次郎は高等小学校を卒業後、請われて商家の息子である友人の家庭教師として奉公に出ます。その後、上京し東京銀座の安藤七宝店の店員として勤めます。
創業者 松本繁次郎
当時銀座で知り合った御木本幸吉氏(御木本真珠店(現 ミキモト)創業者)が真珠の養殖に成功し、宮中に招かれる事となり、氏のために繁次郎がお店の主人にお願いして貸して戴いた紋付きを着て、無事参内する事ができたようです。
明治35年(1902年)には日英同盟が調印され、両国の友好気運が高まり、大日英博覧会が開催される事となりました。
明治43年(1910年)、22歳の繁次郎は東京市より選ばれた3人の万博職員の一員として、日本の文化を広めるべく渡英します。
七宝をはじめ、あらゆる日本の美術工芸品が絶賛され、イギリスの人々は、皆親日的で、繁次郎に対しても非常に紳士的に接してくれたそうです。
晩年の繁次郎のステッキを持って歩く姿はジェントルマンそのものでした。質素ながらも教養と礼儀を重んじる京都人の気質と、イギリス人気質は会い通ずるものが有ったようです。繁次郎にとって、思い出深い一番好きな国となりました。
その二へつづく
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